ながほり武について | |
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生年月日 | 昭和57年(1982年)12月21日生まれ |
育ち | 武蔵村山育ち |
学歴 | 武蔵村山市立第二小学校→武蔵村山市立第五中学校→日本大学第二高等学校→日本大学文理学部 |
議会の役職 | 総務文教委員会、瑞穂斎場組合議会議員、交通対策特別委員会(副委員長)、横田基地の民間機利用促進等に関する調査特別委員会 |
地域活動 | 武蔵村山市ソフトボール協会会長、消防団第六分団班長、交通安全協会峰分会役員 |
趣味 | スポーツ観戦、ジョギング |
好きな言葉 | 【みんなちがって、みんないい】 金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」に出てくる言葉。すべてそれぞれ別々の価値があり、優劣など無いということを教えてくれる言葉です。相手があって自分がいる。それぞれの個性を大事にしていきたいです。 |
昭和57年(1982年)12月21日生まれ。B型。男二人兄弟の次男。 4歳のときに武蔵村山市へ転入。当時は岸地区に住んでおり、きし保育園を卒園。 武蔵村山市立二小へ入学。野球チーム「隼」でキャプテンとして野球に打ち込む。 武蔵村山市立五中へ入学。野球部で副主将を務める。 日本大学第二高等学校、日本大学文理学部を卒業。バレーボール、ラグビー、アルバイト、音楽など何にでも興味を持ち、色々なことを経験。
現在は、両親は三ツ藤、自分は三ツ木の峰地区に在住。
武蔵村山市、西東京市の嘱託員として学童クラブ勤務を経て、平成19年(2007年)に武蔵村山市役所へ入庁。防災安全課へ配属され、消防団の担当となる。生業の傍ら消防団員として活動する地域の方々と接し、郷土愛の素晴らしさ、大切さを学ぶ。 東京都への研修派遣として建設局道路建設部鉄道関連事業課に出向。連続立体交差事業の協定事務を担う。東京都事務の規模の大きさと、他自治体職員の仕事ぶりを肌で感じ、行政職員としての心構えを学ぶ。 企画政策課へ配属。総合計画の担当など、庁内の政策的な事務や重要施策を担当。市の全体を考えて仕事を進める重要性を学ぶ。 係長職へ昇格し協働推進課主査となる。自治会、市民協働、地域コミュニティ、男女共同参画、消費生活、NPO関連事務などを幅広く担当。地域のつながりの大切さを学ぶとともに、その必要性と地域の弱体化への危機感を感じる。 企画政策課係長を拝命。重要施策の担当係長として、総合計画、基地対策、地方創生、オリパラ関連事務などを担当。市の中心的な役割を担うことができ、市へもっと貢献したいという想いを再認識する。
武蔵村山市消防団第六分団に在籍。火災出動のほか、大雨・台風警戒、大雪警戒などにも出動。第六分団は小学校・中学校の先輩・後輩が多数在籍。 武蔵村山市交通安全協会峰分会役員として、様々なイベントの警備・誘導、カーブミラー清掃、交通安全指導などを行っている。地元である峰地域の皆さんと活動することで、地域の親睦を図ることができている。
思い立ったらすぐ行動!地域へ貢献したいという想いから、安定した市役所もすぐに辞める決断をした。人と接することが好きで、人のつながりを重んじている。世間知らずで天然なところもあるが、まじめで何事にも真剣に取り組む。短気なところがあるので、気を長く持つよう心がけることが課題。 趣味はスポーツ観戦とジョギング。スポーツは全般的に好きだが、特に良く見るのは野球とサッカー。ジョギングは体力づくりのために最近始めた。 昔から歴史が好きで、特に戦国時代や幕末を好む。新撰組が好きなのだが、敵対関係にあった坂本龍馬も尊敬している。その時代に捉われない全く新しい発想や高い志と行動力を持って新時代の先駆けとなり、明治維新の原動力となった坂本龍馬のように、武蔵村山市がより良いまちに発展するための原動力になりたいと思っている。
地元・武蔵村山市のために働きたいと市役所に入庁して約12年。仕事を通じて地域の様々な方と関わり、話をする中で行政課題について考えさせられました。消防団、交通安全協会などの地域活動を通じて、市民一人ひとりの力の重要性、地域への愛着の大切さを学びました。 自分が育ったまちを、みんなにもっと好きになってもらいたい。子どもや若い人には、ずっと武蔵村山に住み続けてもらいたい。そのためには、今までこのまちを守り育ててきた世代との融合が必要であり、地域を継承・発展させていかなければなりません。 安定した市役所での生活を捨て、武蔵村山市にすべてを捧げる思いで一念発起。若さと行動力で地域を元気に!持ち前の行動力と思いやりと熱い情熱で、武蔵村山市に新たな風を吹き込むべく、高い志と強い武蔵村山愛を持って、市政に向き合ってまいります。
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